第四章 ADLとCIAの癒着
対日経済戦争の布告
一九八九年九月十九日、ロサンゼルス世界問題評議会での講演で、ウィリアム・ウェブスターCIA長官は、ソ連の脅威の後退に伴い、アメリカの政治的、軍事的同盟国がCIAの情報活動の重要な標的になるだろうと述べた。
ウェブスターは、ロンドンやニューヨークの利益を貪る金融資本を代弁して、その講演の中で次のように語った。
「われわれの政治的、軍事的同盟国が、経済的な競争相手でもある・・・・将来の市場をつくり出し、獲得し、あるいは支配する競争相手国の力というものが、安全保障の点から極めて重要な意味を持つ・・・・日本やその他一部の経済的競争相手国は、我が国が長年にわたって主導権を握ってきたハィテク分野に、今後数年の間にどんどん入り込み続けてくるだろう」
「ハイテクだけでなくほとんどすべての分野において、アメリカの利害が関係する限り、アメリカの政策担当者は競争機会の不平等な分野にますます目を向けるようになるだろう。外国政府の市場開拓への努力や研究開発、生産に対する投資といったものばかりか、我が国の経済的な競争相手国の戦略にまで注目するようになる」
「私が今日述べた経済のトレンドが一示しているように、経済と国家の安全保障との関係がさらに重要になってくる。情報関係者はこのような動きを戦略的な観点から見ている。起こっている出来事、それを起こしている勢力、それに海外で起こったことがどういう形で我が国の安全保障に影響を及ぽすのかといったことなどを調査する」
このように述べた後で、ウェブスターCIA長官は、日本に対し正式に宣戦を布告した。この動きは、投資銀行関係者やADLの情報担当者が言っていた通りに事が進んでいることを示している。
金科玉条の「安全保障のために」
さらに一九八九年九月、ウェブスターはCIA内に局を一つ新設することを極秘のうちに発表した。それは企画調整担当第五局と呼ばれるもので、元管理局長のゲーリー・フォスターが新設局の局長に就任した。官僚機構の中では前例のなかったこの新設局の任務は、CIAのスポークスマンによると「あらゆるレべルでの情報活動並ぴに武器の拡散とか世界経済に関する秘密情報を扱う」ものだという。新たにつくられたこの巨大な官僚機構は、アメリカの情報部門のために予算を立てたり、必要なものを考案したりするためぱかりでなく、新たにどうしても必要になった経済戦争に備えることを狙ったものである。このような手を使った大きな理由は、ウェブスターをはじめとする人々が、予算獲得を巡るいつもの内部抗争や官僚の縄張り争いで主導権を握ろうとしたためである。この新しく生まれた組織は、アメリカにとって「安全保障上の脅威」となる経済政策をとっている国々を対象として情報活動を行っている部署全体をも統轄することになっている。この「安全保障上の脅威」の意味するところは多岐にわたっている。まず、アメリカが生産力、競争力で敗北したのは、アメリカの政策のせいではなく、アメりカの生産力に取って代わってしまった輩のせいだということである。第二に、ある国がアメリカにそれも特にハイテク分野に入り込んできているということになれば、その国は揺さぶりの攻撃対象になる。安全保障という言葉は、秘密工作を弁護するためのキャッチ・フレーズとして使われるのが常である。というのも彼らとしては、こういった政策を公の場で弁護することなどできないからだ。
ADLの代弁者サファイア
このような考え方を口にしているのは、ADLのプロパガンダ活動をしている著名人たちである。ニューヨーク・タイムズ』でこのような親イスラエルの考えを口にしているのが、ウィリアム・サファイアである。サファイアが長年にわたって日本とドイツを攻撃する発言を繰返してきたことは、政界関係者の間ではよく知られている。ニクソン大統領の元スピーチ・ライターで、へンリー・キッシンジャーの親友でもあるサファイアの経歴を見ると、一九五○年代に広報担当責任者を務めていたときメイヤー・ランスキー(第九章参照)と行動を共にしている。そのことにより彼は組織犯罪に関係していたことがわかる。
サファィアは一九九○年二月五日付『ニューヨーク・タイムズ』の寄稿欄に記事を寄せ、その中で「経済介入のための閣議直轄評議会」の設置を説いた。この評議会は、国家安全保障会議の指示に従って経済戦争を遂行する組織である。その中で彼は次のように述べている。
「軍事力が優位性を意味しなくなった世界において、いかにすればアメりカは超大国としての地位を維持することができるのか。答えは自明である。われわれは自国の経済力を維持、強化しなければならない....首位に立てる国は一つしかない。われわれがその地位に立てるならこの上ないことだ・・・・超人国の地位を競うわれわれの相手国は、統一ドイツ(ドイツのヨーロッパ衛星国も含まれることになるだろう)と強大化する日本(もし日中が同盟を組むことに成功すれば、中国も一緒だろう)である・・・・将来において我が国が権力を行使する手段は、主として対外援助(アメ)と限定経済戦争(ムチ)を使ったものになるだろう」
第二次世界大戦によってもたらされた政治構造がすっかり変わってしまい、ポスト冷戦時代に入った今、強大な組織的勢力がアメリカの新たな政治権力構造を支配しようとしている。ウェブスターやサファイアはこういった勢力の中でも、ウォール街を代表する人々やADLを操る勢力の代弁者である。彼らは政策決定過程を支配しようとするだけではなく、「経済競争」は国家の安全保障に係わるという考えに基づいて情報活動の必要性を主張する。金融におけるアダム・スミスの「蚤の市場」の概念が、こういった類の考え方の根底にある。
キッシンジャーの陰謀
経済競争が国家の安全保障に係わるという考え方が、どのような経緯をへてウェブスター長官の発言に見られるアメリカの安全保障観になったかを正確に見るために、へンリー・キッシンジャーが活躍した一九六○年代末から一九七○年頃を振り返ってみることにする。この時代、キッシンジャーはアメリカの政策決定に係わり、基本的にそれを操作しただけではなく、政策決定、情報活動体制そのものをも根本的に再編した。
ロンドンとニューヨークの金融勢力の後ろ楯を受けて、キッシンジャーは情報活動に携わる組織をそれまでと全く反対に入れ換えてしまった。彼がまず企んだのは、CIAの情報分析機構に取って代わるものとして、国家安全保障会議(NSC)のスタッフ自身が重要な政策決定に関与できるようにすることであった。元来この部署のスタッフは、情報関係部局から上がってきた情報を単にNSCに提出するだけのものであった。
情報分析、正確に言うなら国家情報分析(NIES)の目的は、様々な手段や経路を使って入手した生の情報を、状況に応じてべストの分析が行われるようにすることだった。
CIAはェレクトロニクス装置から人的手段までのすべてを駆使して、何が起こっているかを把握し、大統領やその閣僚、それに情報関係部署の責任者をはじめとする政策担当者がしかるべき行動を取れるようにその情報を提供しようと試みていた。キッシンジャーはこのシステムをほとんど信用していなかったので、それを壊してしまおうとした。
さらにキッシンジャーはその際、CIAで働いていた情報関係者の幹部をホワイト・ハウスに招き入れた。CIAの幹部の一人でソ連の情報活動問題担当だったウィリアム・ハイランドも、キッシンジャーによってホワイト・ハウスに移され、彼の前の職場であるCIAに対抗してキッシンジャーが事を進める際の切札に使われた。そのときからというもの、ハイランドはことごとくキッシンジャーの後ろ楯によって出世していった。今日、ハィランドが英米のェスタブリッシュメントの政策集団である外交問題評議会(CFR)の中枢に地位を得ているのもキッシンジャーのおかげである。またブッシュ大統領はこのほどハイランドを大統領付対外情報活動顧問委員会(PFIAB)の委員に指名した。
キッシンジャーはこうした抜擢人事を通じて互いの反目を引き起こし、それによって情報専門家からなっている従来のシステムの弱体化を狙った。このような撹乱工作は一部の情報専門家の間に疑惑を生み、彼らはキッシンジャーを「ソ連のスパイ」かもしれないとして調査を始めたほどであった。キッシンジャーは、最善の情報分析を提供し取るべき行動を進言するという情報専門家の能力を破壊してしまった。そのことで現実に一部の者はキッシンジャーを「ソ連の息のかかったスパイ」と考えたのである。
CIAに浸透したモサド
キッシンジャーは自らの下で、国家情報分析を軽視する一方、第三世界を中心に秘密工作(単に諜報活動に徹するのでなく、意図的に事件を引き起こすこと)を進めることでCIAの秘密工作部に対し協力した。キッシンジャーと一緒にこの工作に加わったのが元CIA長官のウィリアム・コルビーだった。彼は長きにわたって第三世界での秘密工作に携わっており、今ではアメリカの対日政策を決定するための情報活動を民間サイドで進める上でなくてはならない人物になっている。コルビーはトヨタや日商岩井をはじめとする数多くの日本企業の代理人を務めている。彼はさらにウェブスターCIA長官の特別顧問でもある。
キッシンジャーがイスラエルの情報機関であるモサドとの間に緊密な関係をつくり上げたのもこの時期であった。それまではモサドはCIAの単なる下請け機関であり、アフリカや中東での共同秘密工作では金銭的にCIAに依存していた。キッシンジャーが登場するに及んで、情報活動全体の様相がすっかり変わってしまった。一九七三年の中東戦争とそれに続くアラブ諸国の石油輸出ボイコットという事態に対しキッシンジャーが果たした役割によって、彼はイスラエル人に登場の機会を与えた。
ロンドンとニューヨークの金融勢力の利益の代弁者として、キッシンジャーはオイル・ダラーのロンドンとニューヨークへの還流を図ることにより、英米金融システムの崩壊を未然に防ぐことに成功した。また当時IMFの副総裁で後に連邦準備銀行総裁になったポール・ボルカー主導の下でアメリカの銀行制度の規制緩和が進められた結果、英米の金融勢力の政治力は甚だ強大なものになった。今もボルカー、キッシンジャー、コルビーは緊密に手を組みながら世界的な問題に対処している。
従来の情報機関に対抗する権力を国家安全保障会議に付与すること、そして自分の気に入った特別の秘密工作を仕組むこと、この二つの事柄を成し遂げるためにキッシンジャーは努力した。その結果、彼は情報活動の方針並びに政策決定を統轄できる権限を情報活動の専門家の手から奪って自らの手中にすることができた。
歴史的な流れから見れぱ、このような権限の移転が可能だった背景には、いくつかの要因がある。当時、べトナム戦争の敗北のショックが下火になりつつあったし、電撃的な中国との国交回復が起こった上に、モスクワとの間のデタントが進みつつあった。そしてニクソン大統領は政策決定に関してキッシンジャーにほとんど全権を委任していた。キッシンジャーに反対でもしようものなら、ありとあらゆる汚いトリックを仕掛けられる羽目になるのがおちで、彼は自分が牛耳るNSCのメンバーに対してすら容赦はなかった。自分に反対するメンバーに対しては、キッシンジャーは国家の安全にかかわる情報を漏らしたとの嫌疑をかけた。
キッシンジャーは絶大なる権力を振った。
もっとも軍や軍情報部の支援を受けたCIAのOBたちが、キッシンジャーに対し抵抗を試みたことがあった。だが彼らの高邁なる努力にもかかわらず、自らの公的地位を利用し、かつ出世の面で自分に借りのある人物をアメリカ政府内部の要所に配置することによって、キッシンジャーは巨大な私的情報機構をつくり上げることに成功した。
このような手を打った上に、連邦捜査局(FBI)の協力も得、さらに後にウィリアム・ウェブスターの手も借りることによって、キッシンジャーと彼の仲間は米国内に巨大なネットワークを築き上げた。ADLがこの情報機構の代理人として重要な情報活動に従事するようになったきっかけも、実はこのキッシンジャーの行ったことにある。
ADLと米国情報機構・・・・その歴史的関係
ADLとモサドについては後章で触れることになるが、このような動きの結果、憲法によって与えられていたアメリカ政府の権限は大幅に縮小させられてしまった。米国内においてADLが大きな権力を行使できるようになったのは、実際のところ主としてキッシンジャーとFBIの努力によるものである。
ADLの特殊な情報活動能力は、第二次世界大戦前に、第五局と呼ぱれたFBIの防諜担当部署の支援と協力の下、英国情報部の「特殊工作部(SOE)」の責任者ウィリアム・ステファンソン卿の尽力によって培われたものである。表向きは米国内でのナチの諜報活動に対抗するためということだったが、ADLはFBIの協力を得てアメリカの再度のヨーロッパ戦線への参戦に反対する孤立主義者たちの調書を作成し始めた。孤立主義者の一部は「米国第一主義者」と呼ばれた。アメリカは海外のいかなる紛争にも手を出すべきでなく、自国の利益のみを考えるべきだというのが孤立主義者たちの考え方であった。日本が真珠湾を攻撃するまで、こうした米国第一主義者は議会内では強力なロビーの一つだった。
イギリスの情報活動にとってもっと重要だったのは、ADLとFBIが米国内での情報活動体制をつくり上げ、それが戦争突入後ロンドンやニューヨークの金融機関にとって極めて有益なものとなったことである。このFBIとADLの関係が、正式な政府機関内でADLを支える上での頼みの綱になった。だがその関係は鳴り物入りで宣伝するようなものではなく、そっとしておくべきものであった。一九六○年代になってアメリカで大変化が起こり始めるまで、両者の連合関係は、人目につかない穏やかなものだった。
シオ二ストのアメリカ侵攻
一九六七年の六日戦争までは、ADLは諜報合戦においては基本的に部外者であった。彼らの諜報能力はFBIとの関係から制限されていた。アメリカの情報関係者の間には伝統的にイスラエル人やアメリカの情報分野で働くユダヤ系アメリカ人に対する警戒心が存在していたことから、当時はADLのCIAに対する影響力と浸透力は、最低限にとどまっていた。CIAの防諜担当局長を務めたジェームズ・ジーザス・アンジェルトンは例外として、一般にイスラエル人はアメリカの情報分野に入り込むことはできなかった。
アンジェルトンの下で、アメリカの防諜活動はイスラエルの秘密情報機関との間に関係を有するようになった。アンジェルトンはCIAの前身である戦略事務局(OSS)の局員だったときにイスラエル人との間に密接な関係を築いていた。彼が連絡を取り合っていた重要人物には、イスラエルの情報関係者のトップの人たちぱかりでなく、エルサレム市長のテディ・コレックも含まれていた。
しかしながら、六日戦争が終わりアメリカで国内政治危機が起こってからというもの、政治、文化面で一大変化が起こった。イスラエルの電撃的な勝利の結果、アメリカのマスコミや米国民の間で、イスラエル人が一夜のうちに「実体以上の英雄」に祭り上げられてしまった。「無敵のイスラエル人」とか「彼らは間違いを犯すはずがない」といった魔法の呪文が米国民にかけられた。そしてその後の二十五年間でこれらの勢力が政治権力を手の中に入れ、政府機関を上回る強力な存在になってしまった。とりわけこのことは司法省や国防省、それに情報機関の内部で顕著であった。
へンリー・キッシンジャーの台頭と無敵のイスラエルの登場とが相まって、ADLの地位も上昇し始めた。ADLは主として国内の活動強化を図り、産業界、市民団体、労働組合、それに政党の内部に政治的な諜報活動を進めるための拠点を築いた。FBIは絶えずADLを庇護し、いつ何時でも必要なときにはこれに援助の手を差し延べるようになった。
政敵を葬るために
カーター政権時代の一九七七年、ウェブスター判事がFBI長官に任命されたときに、この両者の関係はさらに強固なものとされ、ADLやシオニスト・ロビーに刃向かう政敵に対しては卑劣な工作が仕掛けられることになった。
両者が最初に仕組んだ共同工作活動は、アブスカムと呼ぱれたFBIのおとり捜査だった。FBIは有罪が確定した犯罪者、それもそのうちの何人かはADLと直接つながっているような者を、国会議員や実業家、その他政治的影響力のある人たちを標的にした工作活動に利用した。
アブスカムという言葉は「アラブのぺテン」という意味で、オイル・マネーで裕福な中東の王族に対する反感をかき立て、アメリカにおいて大規模な反アラブ気運を盛り上げることを狙ってつくられた言葉である。アラブの王族たちはシオニスト・ロビーからはアメリカに「堕落をもたらすもの」とみなされていた。ADLはFBIや全国のマスコミと連携して活動した。特に彼らを政治的に攻撃する時にはNBC放送と連携プレーを行った。
彼らの攻撃の目標にされたのは、人種的にアメリカ人と言えるもともとアメリカ生まれの人たちや、労働組合の支持を得ていた保守的な民主党幹部たちであった。かかる憲法をないがしろにする悪質な攻撃の犠牲になった人物の一人が、ハリソン・ウィリアムズ上院議員(民主党、ニュージャージー州)だった。ウィリアムズ上院議員は彼の仲間の手で上院の議席を奪われてしまった。
このことが米国内に新たな先例をつくった。それはFBIとADLからなる勢力に、恐喝という手段に訴えるとてつもない道を拓くことになった。最近では幾度となく彼らはこの手を使っている。へンリー・キッシンジャーは野に下ってからも、政敵を葬り去るためにこの手口をよく用いた。カリフォルニアのボへミァン・グローブで開かれた秘密結社の集会で、キッシンジャーが当時FBI長官だったウェブスターに会ったことは、今では公の文書に記されているが、その席上キッシンジャーはウェブスターに対し政敵を攻撃することを依頼している。
日立をはめたおとり捜査
ウィリアム・ウェブスター判事は、ADLお気に入りの官僚の一人になった。一九七七年から八七年にかけての彼のFBI在職中に、ADLは「民権問題」のコンサルタントという形で正式に司法省に組み込まれた。一九八○年代、ブナイ・ブリスはウェブスターに対しその貢献に報いた。FBIで彼の次席を務めたオリバー・レヴェルは、日常業務においてADLと行動を共にしていた。そればかりか彼は、FBI要員用のテロ対策訓練施設としてバージニア州クァンティコにあるFBI訓練本部にイスラエル情報部員を招聘している。
さほどタイミングが一致しているわけではないが、FBIが日本企業の日立製作所に対しておとり捜査を行ったのは一九八○年代初頭のことであった。以前アブスカム工作をしたときに使ったおとり作戦を、シリコンバレーの企業からコンピューター・チップを買い取ろうとした日立の社員に仕掛けられたのである。実際のところ、この事件は「ジャパン・バッシング」の戦いの始まりだった。
浸食されたClA
レーガン時代にこうした勢力は以前にもまして強大になった。NSCにキッシンジャーが築いた体制、それに民間の手によるものでありながら政府のお墨付きを得ているCIAの元職員を使った秘密諜報工作がアメリカで政策を進める場合の常套手段、あるいは一般的なやり方になった。このような状況の下で、外国人であるイスラェル人がますます深く共同秘密工作にかかわるようになった。
アメリカの諜報能力の再構築の必要性に迫られて、当時のCIA長官だったウィリアム・ケーシーはこういった工作を認めた。当時は依然冷戦たけなわの時代だったので、共産主義者に対する工作に早急にとりかかりたかったケーシーは、その障壁となっていたCIAの官僚制度を飛び越えて事を進めた。つまりそのような工作をイスラエル人に任せたのである。
ケーシーが行ったこのような決定によって、イスラエル人とADLは国家安全保障に関与する組織の上層部に直接食い込むことができるようになった。特にテロリズムの脅威が高まる中で、アメリカはそれに対応できる能力を持っていなかったので、そのための組織をCIAの中につくるためにイスラエル人が紹かれた。これが実はイラン・コントラ事件のもとである。
ケーシー自身は多くの自己矛盾を有する人物であった。元CIA工作員によると、ケーシーは秘密工作をイスラエル人抜きでやれと命令を出そうとしたかと思うと、考えを百八十度転換して同じ任務をイスラエル人に課すなどといったことがよくあった。こうした彼のやり方は、情報関係者内部に大きな混乱を引き起こした。
ケーシーCIA長官が相矛盾する行動を取り、そしてタイミングよく亡くなった後、ニューヨークやロンドンの勢力は議会内における彼らの影響力を行使してレーガン政権を骨抜きにし、ケーシーの後継者としてウィリアム・ウェブスターを任命することを認めさせた。情報関係者たちは自分たちが選んだ候補者をCIA長官のポストに就けることなどできなかった。情報組織内部が毎日のように出てくる新たなスキャンダルで上を下への大騒ぎをしているような状況であったため、この人事に対する組織的な抵抗はほとんどなかった。こういうわけで、ウェブスターが指名された。このウェブスター判事の任命によって、FBI.ADL体制全体が一層強固なものになった。
イスラエル人が情報組織内部に浸透し続けていくことに対し、直接影響を与えた唯一の大スキャンダルは今もっていまわしいポラード事件だった。この事件の詳細については後述することにする。ここではポラード事牛がイスラエル情報部の米国情報部への浸透工作の大きなつまずきとなったことを指摘するだけで充分だろう。ところがこの事件にもかかわらず、ADLによる米国情報組織の破壊はますます激しくなっている。
ClAとジャパン・バッシング
ADLの情報組織破壊工作がなぜうまくいっているかを理解するためには、ウェブスターが現在進めている作業の一部をここで詳しく見てみる必要がある。
ウェブスターの指揮の下、ポラード事件による後退にもかかわらず、ADLはその目的達成のため、様々な代理人を利用しながら日本企業や個人を標的に工作を進めている。ADLがCIAの現幹部や元幹部との間に持っている関係こそが、ジャパン・バッシング計画の決め手なのである。
レーガンの国家安全保障担当補佐官だったリチャード・アレンは、ADLと密接な関係を持ちつつ動いている元幹部の一人である。現在アレンは自分でつくったコンサルタント会社、アレン・アソシエート社を経営しているが、最近クレジット・インターナショナル・バンク(CIB)の役員にも名を連ねた。CIBはワシントンの中心部に集まる政治活動家の中心である。取締役会の構成員の一人はチャールズ・マナットは弁護士でかつ民主党全国委員会の元委員長、それに長年にわたってADLの重鎮でもある。ロバート・シュトラウスの親しい友人でもあるマナットは、日本人とのコネをつくるため、アレンと行動を共にした。シュトラウスはADL全米委員会の委員である。
アレンは日産自動車、東京電力、それに日本や台湾の建設会社の代理人をしている。日本とのコネがあるという理由で彼は一九八六年にCIBに加わるよう招かれた。一九八九年二月までにアレンは千四百万ドル強に相当する投資資金をCIBにもたらした。ここで特に興味深いのは、比較的規模は小さいもののこの金融機関はヘリテージ財団の資金パイプだということである。同財団は保守派の有力財団の一つで、貿易や経済問題では根っからの反日である。
へリテージ財団は、アレン・アソシエート社とCIBから二十五万ドルを受取っている。アレンはへリテージ財団のアジア担当上級顧問である。この財団は有力シンクタンクの一つで、レーガン政権時代に成長した。また従来からADLと関係があり、熱烈な親イスラエルでもある。元情報関係者だった人々の一部は、CIBは実際はCIAの所有物だと考えている。
「日本をターゲット」で常に一体
銀行、政治関係者、財団等からなるこのつながりを通じて、ADLにつながるグループはCIAに対し大手日本企業の内部情報を提供している。リチャード・アレンが様々な関係者が互いに結ぴ付いたこのネットワークに気付いているかどうかははっきりしない。ただはっきりしているのは、このようなネットワークが秘密工作を進める上で非常に有益であるとCIAが考えていることである。従来からアレンは政策の違いというよりは個人的な理由からキッシンジャーと反目してきたが、日本の経済体制の破壊を目指すニューヨークやロンドンの人脈に連なる人々とは手を携えて行動している。
この工作がどう演じられているかを見るには、CIAと銀行の結び付きを理解することがどうしても必要である。元情報部員で『無知なる軍隊』なる本を著したウィリアム・コルソンによると、CIAと銀行との関係ができたのは、アレン・ダレス(一九五三−六一年、CIA長官)がニューヨークの銀行と結び付いた時代にまで遡る。コルソンは次のように述べている。
「CIAが行っていることの真相に迫ろうとするには、CIAと銀行の結ぴ付きを知ることがどうしても必要だ。こうした結ぴ付きは今もはっきりとは分からない。というのも、今まで述べてきた過去のいきさつは、米国内外の金融機関とCIAとの関係や活動に係わっている上に、その関係はずっと昔に遡るからである」
「ここで情報機関と金融機関との関係についてその全貌を述べることはできない。だがその一端を知るには、アレン・ダレスとJ・へンリー・シュローダー銀行およびシュローダー信託会社との関係を見ればよい。一九三七年にダレスは両社の取締役に指名され、一九四三年までその両方の地位に留まっていた。またその間、ダレスはニューヨークの法律事務所、サリヴァン・アンド・クロムウェルのパートナーでもあった」
シュローダーとこの法律事務所はアメリカで情報機関がつくられた当初から、そうした組織とかかわってきた。CIAとシュローダー銀行との結び付きは、情報機関と金融機関が戦いを進める際にどういう形で裏で結び付いているかを示している。この両者の結び付きについてさらにその背景を明らかにすれば、現在これらの組織がどう結び付いて動いているかがはっきりする。
旧来の伝統的銀行の力は今では新興ユダヤ系金融勢力に押され気味だが、日本を標的にする場合には銀行業務と情報活動が一体化して事に当たることになるのである。
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