序章 イラクのクウェート侵攻とは
英国情報部の中東支配戦略
本文執筆中の現在、ペルシャ湾の危機は最高潮に達し、戦争の可能性が高まりつつある。
外交交渉による政治的解決もあり得るものの、われわれとしてはこの危機が長期的に見て日本にいかなる結果をもたらすかという点から、この問題に着目していかなければならない。
西側の現在の指導者たちは、サダム・フセインのクウェート侵攻の理由をとやかく言ったり、フセインのサウジアラビアに対する野心について、云々したりしているが、今回の事件は徹底して疑ってかかる必要がある、というのは、このような危機を必要としているのは、英米の金融資本家や彼らの仲間のシオニストだからである。
英米の金融資本家の中で主流を占めているのは、高利貸集団である。そして、この高利貸金融の中心は、ロンドンのシティやニューヨークに本拠を構えるユダヤ糸投資銀行なのである。
歴史的に見ると、十八世紀末から十九世紀初頭にかけてロンドンやニューヨークの金融界で大きな力を奪うようになったのは、ロスチャイルド家であった。そして彼らは今、この時代に蓄積した資産や力を動員して、ユダヤ名誉毀損防止連盟(ADL)の支援を受け、反ユダヤを口実にして日本に攻勢をかけてきているのである。シオニズムの拡大と大英帝国のがつながっていることは決して偶然ではない。十九世紀、二十世紀と大英帝国は中東への軍事的進出を着々と図っていったが、この計画に経済的援助を与えたのがイングランド銀行、ロスチャィルド家、それにべアリングだった。
現在のぺルシャ湾危機を理解するには、歴史を振返ってみなければならない。そこでこの中東地域にどのようないきさつでイギリスが入り込み、最終的にシオニストが大手を振って居座るようになったかを見てみよう。
中東や中央アジアといわれる地域をイギリスが支配したやり方は、武力征服という従来の方法によるものではなかった。彼らは支配権を維持するために政治的な秘密工作、伝統破壊といった手段を用いた。イギリスが使った奥の手は、インドとパキスタンのように国を分割したり、民族や言葉の違いにしたがって国境の線引きをするなどして、いろいろな国を人工的につくることだった。彼らの中東支配は、民族の違いのみならず、スンニー派やシーア派、ワハビ (サウド家)派などイスラム教の宗派に見られるような文化的差異を利用するやり方によっても行われた。
第一次世界大戦まで、この地域にはオスマントルコの勢力がまだ残っていた。だが、中国に対しアへン戦争を仕掛けた金融資本家と手を組んだイギリスは、もともと中東に住んでいた人々に対しても同じような手口を使った。アラブ民族の間に存在するオスマントルコへの反感を利用することにより、イギリス人は諜報活動員として彼らの意のままに動く現地人を簡単に見出すことができた。
徹底した情報収集
英国情報部のアラブ精神と文化に対する分析に基づいて事が進められ、工作は極めて単純なやり方で成功した。敵や標的とする人間の心を理解して事を進める方法は、イギリス人の中で最も優れた中東専門家であったリチャード・バートン卿が、十九世紀後半に著した一冊の書物の中に集大成されている。
その書物とは世界中で有名な『アラビアン・ナイト』である。バートンにとって必要な資料は、人類学者や考古学者、社会学者を動員するというイギリス人の手法によってもたらされたのである。
イランのシャーに仕えた元イラン情報将校によると、イギリス人は人類学者、考占学者等からなるチ−ムをつくり、中東のすみずみまで旅して回ったという。彼らは索引カードを使っては、この地域全域の一つ一つの村の細々とした記録を書き留めていった。そして七十五年間もかけて、各々の村を治めている一族の名前、さらに治める側の一族と治められている村民との関係についての資料をつくり上げた。村の段階から始まって、村の支配者のさらに上に立つ社会のトップの支配者、王とか統治者に至るまでこうした調査は及んでいる。こういう作業をする過程で、イギリス人は優秀とおぼしき若者を将来のために数多く採用した。こうした若者の中から、後にオックスフォードゃケンブリッジ大学に送られて学問を修める者も出た。
時には、マハトマ・ガンジーの場合のように飼い犬に手を噛まれる事態が起きたこともあった。にもかかわらず、イスラエル情報部では今もこのやり方を踏襲している。
「アラビアのロレンス」の名で知られる英国諜報員は第一次世界大戦中に中東へ赴いた時、すでに英国情報部が前世紀中に収集した情報によって中東に関する知識を有していた。この知識のおかげで、イギリス人はアラブ人の中に強力な親英勢力をつくるのに成功した。だがそのことは同時にアラブ・ナショナリズムの種を蒔き、それを成長拡大させる結果にもなった。
戦争が終わった後、イギリス人が自分たちの都合のいいように利用したのがこのアラブ・ナショナリズムである。だが、それをどのように利用したかを説明する前に、第一次世界大戦勃発以前の出来事を検証してみることにする。
生きている大英帝国の利権
第一次世界大戦が始まる前、イギリス人がクウェートに当たる地域で石油を発見した際、英国植民地省はイラクとクウェートを分割する線を砂漠の中に引いた。そして、後、第一次世界大戦でオスマントルコが敗れてトルコ帝国が崩壊した際に、国際連盟はこのイギリスが引いた境界線を簡単に受け入れてしまった。一七五○年以来この地の支配者であるサバ家は、オスマントルコの支配下にありながらイギリス人と同盟を結んだ。というのは、クウェートはそれまでイラクに組込まれていたからである。イギリスの支援に対し、サバ家はクウェートの石油の利権をすべてイギリスに与えた。その結果、この地域での石油開発事業はアングロ・ぺルシャ石油会社、今日のブリティッシュ・ペトロリアムの手によって行われることになった。イラクのクウェート侵攻以前、クウェートの海外資産と金融資産は事実上すべて、イギリスとスイスに置かれていた。イギリスは長年の緋を依然利用していたのである。
第二次世界大戦後、それまで植民地であったか否かにかかわらず、アメリカはすべての人々の間で民族自決を煽り、植民地だった地域で影響力を行使しようとしたが、イギリスは依然として中東での支配権を保っていた。
それを端的に示したのが、一九五○年代に起こったイランのモサデク政権の転覆事件だった。アメリカの情報機関の関与により一九五三年にモサデク政権は打倒されたが、この工作はイギリスの作戦の単なる延長にすぎなかった。CIAは資金と人間を提供しただけのことで、肝心のところはイギリスが計画したものだった。この工作のまとめ役は、カーミット・ルーズべルトなる優秀なCIA局員であったが、工作の頭脳の部分はあの悪名高い英国情報部の「アラブ局」が担当していた。今日に至るも、事情は変わっていないのである。
シャーたちは引き下ろされた
現在の中東、ぺルシャ湾地域の地図を描こうとすれば、次のようなことに気が付くはずである。
一、イスラエルは基本的にイギリスがつくり出した国である。ユダヤ人に国をつくる権利を認めたバルフォア宣言がイギリス議会を通過した後にイスラエルが成立した。
二、OPECは、イギリスが石油の生産や価格をコントロールするためにかけ引きを行う舞台だった。
独自の政策を取ろうとしたアラブの指導者や国家は、いままでことごとく暗殺されるか崩壊させられてきた。
イランのシャーが石油収入を使ってインフラ整備をし、原子力発電を行ってイランを近代的な工業国家に変身させようとしたとき、彼を権力の座につけた勢力そのものが、今度は彼をその権力の座から引きずり下ろした。
三、ハシム家の王国、ヨルダンはもともとイギリスの支援を受けて成立した。フセイン国王がCIAと手を結んだにしても、彼の王国はイギリスによって守られていた。ところがフセイン国王がサダム・フセインのイラク支援を始めた途端、英・イスラェル諜報組織は国王を引きずり下ろすべく、その子飼いの組織であるムスリム兄弟団に指示を与えた。国王の立場は現在のところ極めて難しい状況にある。
四、ムスリム兄弟団は一九二九年に英国情報部自身がカイロにつくった組織である。この兄弟団は彼らが戦略的に利用する要となる組織で、このような別組織をつくったのは、イスラム教徒が昔から科学や技術の進歩というものに敵意を持っていたことによる。こうしたイスラム教徒の後進性を利用することで、英国情報部はイスラム教徒の大衆をいわゆる「西側の脅威」に立ち向かうよう煽動することができる。
イギリスが仕組んだこうした工作の多くは、時間とともに問題もつくり出した。だから、当初つくったものが、手に負えなくなることのないよう、時にはテコ入れも必要になる。さもなくば、時によっては、思わぬ事態へと発展して、戦争で世界が破局を迎えるということにもなりかねない。
現在のところ、サダム・フセインが行動を起こさざるを得なかった根本的な問題の一つは、クウェートがイラクに対し、イラン・イラク戦争時に供与した借款の返済を要求してきたためだとイラクは主張している。イラクのクウェートへの軍事侵攻は、巷で言われているほど薦くべきことではなかった。情報機関関係者なら皆、何かが起こるだろうということは知っていた。
米国経済の崩壊と日本
アメリカの立場から言えば、同国の景気がその財政、経済政策が原因で悪化しつつあることははっきりしていた。ブッシュ大統領は、解決不可能な内政問題に直面していた。彼としては、国内の政治問題から何とか抜け出す必要があった。その点で、イラクのクウェート侵攻はチャンスだった。
侵攻が起こったときに、サッチャー首相がアメリカにいたのは偶然ではなかった。イギリスとしては「英米(アングロ・アメリカン)の関係」というこの特別の関係を再構築する必要があった。ドイツの統合や日本の経済大国化に伴い、イギリスやイギリスの同盟国は凋落、あるいは成長が止まってしまった状況にあり、この英米の関係は難しい局向に陥っていた。イギリスはドイツと日本の問題に関しては、極めてヒステリックな対応をしてきた。
イギリスとイスラエルの関係という点から見ると、イラクが侵略行為を働いたおかげで、イスラエルが今までサダム・フセインに関して言ってきた事柄の正しかったことが証明された。この点ではイスラエルのプロパガンダの勝利と言える。イスラエルとイギリスは人質事件に対するアメリカ人の怒りを煽ろうとしている。それによって、ブッシュは早急に手を打つ必要に迫られ、軍事対立の緊張がさらに高まるであろう。そうなれば、石油価格は暴騰し、その結果ドイツ統合にも影響が出、経済復興の足を引張ることにもなる。日本の方も株式市場が暴落して金融資産が大きく目減りする、彼らはこれを狙っていたのである。
こうした事態になるかどうかは、多くの要因、それも抑制可能なものもあれば不可能なものもあるが、そのような要因がどう動くかにかかっている。日本としては、イギリスとイスラエルの金融、政治、情報のエスタブリッシュメントからなる勢力が、ADLに「秘密警察」の役回りをさせながら、今回の危機を日本への揺さぶりに利用しようとしていることを理解するのが最も重要である。
世界経済混乱の企み
彼らは、アメリカ経済の充全な空洞化を図るべく、アメリカが経済政策や財政政策を変更することを阻止するに違いない。アメリカが大規模な兵力をぺルシャ湾地域に展開したことを前向きに評価することはできたにしても、その後米国内では経済政策の方向を再検討することが大きな問題となる。一方、アメリカのマスコミの間では、すでにアメリカの軍事行動に対する日本の協力が足りないとして日本を攻撃する声が高まっている。イギリスの新聞は英米間の人々的な協力関係を連日自慢気に書き立てている。
その一方で、イスラエルは戦争を企てたり、戦争になるようそそのかしたりして、フセイン・ヨルダン国王が没落しサダム・フセインが打倒され、アラブ産油国の指導者たちが怒りに燃えたアラブ人民によってその座を追われるといった事態が勃発することを狙っている。イスラエルは、パニックを引き起こしたり、混乱をつくり出したり、また暗殺を企てたりして、世界の流れを変え、日本もその中を通らざるを得ないように仕向けるため、今、工作員を世界中に送り出している。
混乱や戦争ということになれば、世界経済における現在の日本の優位性も大きく変わってしまうだろう。
日本とドイツ、そして面白いことに中央アジアの日本になろうとしているトルコ、この三ヵ国を、英・イスラエル勢力は標的にしている。そしてこの勢力はアメリカ国内にあるADLと手を組んで事に当たっている。
したがって、アメリカの政策が搾取と混乱を狙ったものである限り、日本はこれに反対しなければならない。日本は、ADLのごとき危険な勢力が国内に入り込むのを許してはならないし、日本の国の基盤を揺るがせるべく日本人の中から自分たちへの協力者を徴募し始めている彼らの試みを許してはならないのである。
本書は第一部でまず、こうした工作がどのように進められているかを紹介する。日本の政策担当者や一般の人々がこうした事実を認識して知的武装を図り、前もって危険を察知していくのは大変重要なことである。もし日本がわれわれの驚告を気にもとめないなら、戦後アメリカに起こった事柄が日本にも起こることになるだろう。そして第二部では、どのようにしてアメリカがこうした勢力によってその基盤を破壊されてしまったかを詳しく検証していきたいと思う。
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