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靖国神社参拝が物議を醸しますが、以下の動画を一度ご覧ください。そして今一度、戦争・靖国・歴史観・先祖・近隣諸国への影響(良い意味と悪い意味)などを再考してください。最下部にコラム有り。
神風特攻隊@

神風特攻隊A

神風特攻隊B

神風特攻隊C

神風特攻隊D

神風特攻隊E

神風特攻隊F

神風特攻隊G

神風特攻隊H

神風特攻隊I

「祖先が目指したもの」
というタイトルです、偶然見つけました。
※以下は動画に付けてあった解説文です、尚、何処の誰が作ったものなのか僕には分かりませんが、史実とほぼ変わりないと思います。

「先の大戦でもたらされ たものは悲劇だけではありません。日本兵の勇敢さと誇り が、アジア各国(特亜除く)の人々に大いなる勇気 と強い意志、活力を与え、アジア各国独立のきっ かけの1つとなったのではないでしょうか?」


 僕は戦争を肯定も否定もしない。起きてしまった過去の戦争を「良い戦争・悪い戦争」と論評する気もない。軍人が戦争で他国人を殺すことも、良いとも悪いとも思わないし、考えない。

一例を出してみよう。

ナチスはユダヤ人を大量虐殺したとして世界中から非難を浴びた、現在でもナチを嫌う人々は大勢いるだろうし、平凡に考えればそれが当然のようでもある。

特にユダヤ人には耐え難い出来事だったとも言えるだろうが、ちょっと別な視点で見ると面白いかもしれない。

当時のドイツでは「人体実験」を行っていたらしく、それが近現代の医療にものすごく貢献したという事実は誰でもが知っているだろう。しかし、西欧の国々もその他の国々も当時の人体実験を強く批判したし、鬼畜の成せる業などと罵詈雑言で責め立ててもいただろう。

だが、人体実験で得られた医学知識は現代の医療の基礎となっているし、実際にカルテはドイツ語で書くものだ。ドイツを徹底的に嫌いナチスを徹底的に嫌い、人体実験を糾弾するなら、何故にカルテは今でもドイツ語で書かれるのだろうか。

ひょっとすると英語で書く国もあるかもしれないが、僕は知らない。日本でさえドイツ語で書くというのだから、その他の国もきっと同じだろうと思う。

戦争の功罪、というテーマで議論する場合にもっとも大事なことは、「是非・肯定・否定」や「善悪」という視点で捉えて議論するべきではないだろう。単に、悪かった点と良かった点を両方共に羅列して、ひとつひとつを大局的に、客観的に冷静に分析した上で、良かった点は認めるべきだし、悪かった点は反省すれば良いだけの事である。

最近、靖国を発端とする議論の中には支離滅裂な論調の識者も大勢いるようだが、そういう方々はきっと、善悪という目安で見ているのだろう。上に書いたように「人体実験」は倫理上大問題である。

被害者の遺族の心情を思えば、こちらの胸まで苦しくなる。しかし、いつまでも悲しんでばかりはいられないし、ナチスを憎むばかりでは悲しさと憎悪の連鎖につながる。子々孫々にドイツを恨め・・・と教えたいならそれでも良いが・・・。

事実現代医学の基礎を作ったのがそれであるなら、受け入れざるを得ない。そして現代社会に生きる我々は少なからず、そういう医学の恩恵を授かっている。

だからこそ、靖国問題も大事(おおごと)にするべきではないのである。各国の代表が話し合って解決するのがベストであり「靖国参拝をするなら首脳会談は行わない」という理屈は全然、的を射ない論調になってしまう。

戦争とは必ず双方の軍人と民間人が大勢死んでいく。戦争で、勝った方が負けた方を一方的に「悪者・犯罪者」と決め付けるのは言語道断であろう。また、それをやるから恨みを持つ人間も出てくる。

そう・・・つまり人間とはそういうレベルしかない生き物なんだ。ユダヤとパレスチナ&日本と中国・韓国など・・・どうみても悪循環を誰かが止めようとしているとは思えない。

人間の本能にまで踏み込んでこの手の問題は考えるべきである・・・ということである。以上・・・僕の率直な考え方を書いたが、意見があれば掲示板にでも書いてください。

2006/08/20 6:39:58
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